本文
墓地全体図※添田町発掘調査報告書第3集より抜粋
指定種別 | 町・史跡 |
---|---|
指定年月日 | 平成10(1998)年3月20日 |
製作年・時代 | 江戸時代中期 |
員数 | 50基 |
構造等 | 面積:約2,000平方メートル |
備考 |
この墓地は、英彦山神領域の最下限に位置し、墓石も雑然と配置されていることなどから、英彦山修験道社会を支えた下級山伏のお墓と考えられています。
西側最前には追善の護摩壇があり、彦山権現の加護のもと供養が行われたものと思われます。墓標は西方浄土に向かうよう西対させ、先祖の魂を昇華させるように念を込めて梵字を刻んでいます。
また、英彦山は女人禁制が早く解かれた山でもあり、女性墓が多く、親子墓、夫婦墓など血縁を重んじていたことが分かります。
元禄時代から享保時代まで、英彦山が最も栄えた時代に形成された墓地であり、英彦山修験文化や宗教観を考えるうえで貴重な資料です。