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参道から雪舟築庭に入る道のすぐ左側に巨大な石造の灯籠があります。これは本来、御神灯ではなく宝篋印塔だったのです。
この大きな宝篋印塔は、文化14(1817)年、熊本の豪潮律師という偉いお坊さんが8万4千の宝篋印塔建立の悲願を立てて全国に廻ったのですが、そのうちの一基なのです。かなりな費用だったでしょうが、地元を始め周辺の人々が善根を積むために喜んで寄進されたものだと思います。
塔の基部に「四卍八千之内」の文字が横書きに刻まれています。
県内では芦屋町と久留米市にこれとほとんど同じような豪潮律師の宝篋印塔があります。
明治維新の神仏分離令で、英彦山から仏教関係のもの一切を取り除くことになったので、塔の中心部に刻まれていた梵字を削って「燈」の一字を入れ、塔の腰部をとりまいている蓮華の花びら(反り花)に亀の甲羅の模様を付けたのです。
しかし、側面の文字はそのままに残されています。参道の反対側の広場にもほぼ同じような規模の塔が残されています。
すぐ横に高浜年尾の句碑が建てられています。
「石垣はみな坊跡や蔦紅葉」
年尾は高浜虚子の長男です。「ホトトギス」を主宰、著書に、「俳諧手引」「年尾句集」があります。