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平家落人伝説の地

ページID:0001068 更新日:2025年1月14日更新 印刷ページ表示

「お蝶ヶ淵之跡」の碑

「お蝶ヶ淵之跡」の碑の画像

 野田の加茂神社の前の彦山川のあたりは、最近河川改修が行われるまでは曲がりくねって深い淵になっていました。
 平家の落人、お蝶姫が乳母と2人で野田の里にたどりついて住んでいましたが、源氏の追討が急なため生きる望みをなくし、この淵に身を投じました。村人は姫を哀れんで、この淵をお蝶ヶ淵と呼ぶようになりました。現在は河川改修でできた広場に「お蝶ヶ淵之跡」の碑が建てられています。

 英彦山「しゃくなげ荘」があった場所の近くの上仏来山の山中に双戸窟があります。壇の浦の戦いで敗れた平家の女官が、安徳天皇を奉じて、この地に住んだと伝えられています。明治の中頃までは木像がたくさんあって、毎年春と秋の2回、近くの人たちがこの木像にお化粧をしてあげてお祭りをしていたということです。その木像のうち4体が、英彦山修験道館に展示されています。

 津野小学校から東へ2キロ登った山間に奥山という集落があります(道路は近年舗装されました)。戸数は20戸ばかりですが、ほとんどの家が金子姓です。平家が滅んだとき金子十郎家貞という武将を中心にやって来て土着したのだと伝えられています。
 付近に太郎丸、吉丸などの地名があり、集落を流れる小川が勝負川というのもなにかいわれがありそうです。系図の残っている家もあります。