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彦山三所権現御正体(ひこさんさんしょごんげんみしょうたい)

ページID:0001243 更新日:2025年1月14日更新 印刷ページ表示

忍骨尊像の画像  鏡板の画像 伊邪那岐尊像の画像
 忍骨尊像  ​/  鏡板  /  伊邪那岐尊像

文化財の概要
指定種別 国・重要文化財(美術品)
指定年月日 平成5(1993)年6月10日
製作年・時代 鎌倉時代
員数 3面
構造等

忍骨尊像:鏡板径45cm、像高26.5cm、像奥行5.7cm
伊邪那岐尊像:鏡板径45.5cm、緑厚0.4cm、像高30.5cm、像奥行5.7cm
鏡板:鏡板径43.5cm、緑厚0.3cm

所在地 添田町大字英彦山
備考 三面共に、下辺右回りに蹴彫銘「彦山下宮御正躰/勧進大千房」
鏡板左右に籠字刻銘「大檀那」「左衛門尉藤原能直/三箇国守護」

 鎌倉時代、豊前・豊後・筑後国の守護であった、大友能直が下宮御正体として奉納したものです。
 径42cm余りの円鏡に錫箔、像の随所に金箔が残ることから、奉納当初は金銀に輝く、非常に荘厳なものであったことが分かります。
 また、彦山(近世以降は英彦山)は、北岳、中岳、南岳の三峰から成り、その祭神は、北岳(法躰岳/天忍穂耳命)、中岳(女体岳/伊邪那美命)、南岳(俗体岳/伊邪那岐命)と伝わっていることから、本御正体のうち像の欠けている鏡板には、伊邪那美命の像があったと推察されます。

 彦山権現の信仰資料として貴重な資料です。

※「権現(ごんげん)」…仏教では、仏、菩薩が衆生を救うために種々の姿となって権(かり)に現れることを指し、本地垂迹説では、仏の姿をかりて日本の神として現れることです。権(かり)とは、臨時の・仮のという意味です。
※「正体(しょうたい)」…御神体のことを指します。