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岩石山は、平安時代以降に城が築かれ何度かの激しい戦いが繰り返された。そのため、庄・添田・伊原あたりに、「このあたりでは岩石城の戦いで多くの武士が死んだ所」と落城にかかわる話が数多く残っている。
添田下町地蔵尊がある所は、昔岩石城の落城のとき、火あぶりの刑が行われたことから、あぶり谷という。
添田の市場堂の地名は、添田須佐神社のお旅所に牛馬の市が立っていて、日田周辺からも人びとが集まったことに由来している。お旅所の少し北方に日蓮宗大蓮寺があるが、このあたりで武士の首がさらされたという話がある。
また、大蓮寺の北側の小さな坂道を牛首の坂というが、市で売れ残った牛馬は連れて帰ってもどうしようもないため、大蓮寺附近で処分されたところからついた名前だという。そういうことから、大蓮寺では馬頭観音の石塔を建てて供養している。