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添田町の伝説 地名伝説

ページID:0001597 更新日:2025年1月14日更新 印刷ページ表示

地名伝説

 今の赤村と津野一帯を昔は吾勝野(あがつの)と呼んでいたという。その由来は、吾勝尊(天忍骨尊)が岩石山に天降ったことから、岩石山は吾勝野と呼ばれ、その東側の今川流域は吾勝野の名であったという。それが、景行天皇が熊襲を討つときこの山頂に登り、神々を祭って東側を見下し、「この山麓は豊かな土地であるが、南北に連なって細長いので二つの村にしたがよい」との言葉からアガツノが分かれてアカ村とツノ村になったという。
 岩石山には、昔新羅国から曽褒里神が移り住んだ。そのソホリが転化してソエダになったという話がある。
 中元寺諏訪神社の森を勝木の森といい、その中の巨木イチイガシは県指定の天然記念物になっている。この地は、昔、景行天皇が高羽川上の賊を討つときにしばらくとどまった所であり、戦勝を記念して天皇がみずから植えた木が生い茂ったもので、名前も勝木の森と名づけられたという。諏訪神社は元は別所という所に鎮座していたが、現在の勝木の森に移った日がちょうど七月中元の日であったという。その中元神事が中元司となり、中元寺と変わったといわれる。