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上仏来山の近くに雙洞窟という岩窟がある。平家一門が壇の浦で敗れたとき、安徳天皇の一行は彦山に落ちのび、天皇は12人の官女とともにこの窟にひそんだ。
その後、源氏の追求がおさまるのを見はからって、天皇は対馬に移り住んだ。
一方、窟には、この地に残った平家落人の子孫が安徳天皇を祀って木像を奉納した。明治の中ごろまで、窟の中には鳥帽子をかぶったもの、黒髪を垂らしたものなど数多くの女官の木像が残っていた。平家落人の子孫は、これら木像に紅や白粉を塗り、美しく飾りたてて祭りをしていたが、今は草木の中にうずもれているという。
津野の奥山には、太郎丸などの平家に由来するとうかがえる地名が残っているなど、町内の他所にも平家伝説が残されている。