ズイベガ原遺跡と提灯掛けの松

2012年1月26日

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提灯掛けの松があった付近 

 


 

津野ズイベガ原遺跡は英彦山豊前坊の今川源流にほど近い、標高550~600メートルの扇状台地で、添田町内の縄文遺跡では最も古く、いまからおよそ6500年前のものと考えられています。農作業中に偶然発見され、採集された多数の石器・土器片によって確認されたものです。当時の縄文人たちは、この照葉樹林地帯で食料を採取・狩猟していたのです。いまは斜面に広がる畑地となっています。
このあたりは、いまは舗装道路になっていますが、「提灯掛けの松」といわれた松の木がありました(いまは枯れてなくなっています)。
昔(天正時代)毛利村六助の許婚お園とお菊は、父(山口県岩国の藩主)を闇討ちにした仇を討つため六助を頼って大分県毛谷村に行く途中、この地でお菊が病気になり、お園は村人に助けを求めようと、松の枝に提灯を掛けて里に下りました。運の悪いことに、その間にお菊は仇にあい、返り討ちになってしまいました。後日、お園は六助の助太刀によって、父と妹の仇を討ち、二人は晴れて夫婦となりました。
後、六助は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、貴田孫兵衛と称し加藤清正の家来となり、慶尚南道普洲城で烈女・朱論介とともに最期を遂げました。
いまではその松の木のあった附近は小公園となり、お堂のなかにお園、お菊の墓があり、園内に六助・朱論介の墓、恩讐を越えた、朝鮮出兵のときの両国の死者たちの霊を祀った慰霊碑などが建立されています。

 

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