玉屋窟

2012年1月26日

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玉屋窟に建つ玉屋神社

 


英彦山の古い記録「彦山流記」では彦山の始まりは、玉屋窟であるといわれています。彦山の開祖はこの窟で修行した、恒雄という人だったのです。恒雄は、この窟でながいあいだ一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠(世の中の人々を救うためにたいへん役立つ不思議な力を持つ珠)を授かりました。その珠は窟の奥から小さな倶梨伽羅(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れたのです。珠が出現したことから、それまで般若窟と呼んでいましたがそれを改めて、玉屋窟と呼ばれるようになりました。
英彦山には修行のための窟が49ヵ所あったということで、いままでの調査では48ヵ所まで推定できています。まだあと1ヶ所だけ分かっていません。
この近くに、岸壁に板碑の形を刻んでいる所があります。しかし、そこは山歩きになれた人でないと寄りつかないような場所で、地元の人たちもあまり行きません。
英彦山の寺は、はじめ霊山時といっておりましたが、弘仁13(822)年、嵯峨天皇より、「日子を改めて彦となし、霊山を霊仙に改め、四方七里を寺の財産とし、比叡山に準じ3千の僧を置き、天台の教えを学ばしめ、70州を鎮めて海宇の豊かなることを祈れ」とお言葉をいただき、以後彦山・霊仙寺となりました。

 

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