佐々木小次郎豊前添田説

2012年5月8日
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佐々木小次郎については、宮本武蔵との「巌流島の決闘」で知られ皆様もご存知のことだと思います。
今年(2012年)は、巌流島の決闘(1612年)から400年たつそうです。
この佐々木小次郎が、実は、豊前添田の出身であるという説があります。
添田町文化財専門委員長である梶谷敏明さんは、佐々木小次郎豊前出身説について、その検証結果をまとめた「彦山・岩石城と佐々木小次郎」という書籍を自費出版し、また講演も数多く行っています。
今回、添田町の歴史再発見に興味をもってもらおうと3回にわけてこの説を紹介させていただきます。
 

佐々木小次郎豊前添田説 その1 

添田町文化財専門委員長 梶谷敏明

 

佐々木小次郎の出身については諸説ありますが、熊本藩の豊田景英が編纂した『二天記』の記述による越前国(福井県)出身説、吉川英治の小説「宮本武蔵」の岩国出身説が一般的です。しかし、平成15年のNHK大河ドラマ「宮本武蔵」において、佐々木小次郎豊前添田説が放映されました。
私は添田町の郷土史を勉強していた者として恥ずかしいことに、この説について全く知りませんでした。放映後に、私は各地の色々な史料にあたり、佐々木小次郎が細川藩小倉時代に、豊前・豊後・筑前で、活躍していたという多くの記述を見つけることができました。
これらの史料により、私は佐々木小次郎が添田出身であると自信をもって主張できるようになりました。        
特に、細川藩家老で門司城代であった沼田延元が残した記録を子孫がまとめた「沼田家記」での、巌流島の決闘は剣豪としての戦いではなく、武蔵側が策略を行ったという記述により、この説の論拠を深めることができました。