地名伝説


 今の赤村と津野一帯を昔は吾勝野と呼んでいたという。その由来は、吾勝尊(天忍骨尊)が岩石山に天降ったことから、岩石山は吾勝野と呼ばれていたし、その東側の今川流域は吾勝野の名であったという。それが、景行天皇が熊襲を討つときこの山頂に登り、神々を祭って東側を見下し、「この山麓は豊かな土地であるが、南北に連なって細長いので二つの村にしたがよい」との言葉からアカツノが分かれてアカ村とツノ村になったという。
 岩石山には、昔新羅国から曽褒里神が移り住んだ。そのソホリが転化してソエダになったという話がある。
 また岩石山には平安時代以降城が築かれ、何度かの激しい戦いが繰り返された。そのため、庄・添田・伊原あたりに、「このあたりでは岩石城の戦いで多くの武士が死んだ所」と落城にかかわる話が数多く残っている。添田下町地蔵尊がある所をあぶり谷という。昔岩石城の落城のとき、火あぶりの刑が行われたからその名があるという。
 添田の市場堂の地名は、添田須佐神社のお旅所に牛馬の市が立っていて、日田あたりからも人びとが集まっていた。お旅所の少し北方に日蓮宗大蓮寺があるが、このあたりで岩石武士の首がさらされたという話がある。また、大蓮寺の北側の小さな坂道を牛首の坂というが、市で売れ残った牛馬は商品価値がないから連れて帰ってもどうしようもないということで、大蓮寺附近で処分されたところからついた名前だという。そういうことから、大蓮寺では馬頭観音の石塔を建てて供養している。
 中元寺諏訪神社の森を勝木の森といい、その中の巨木イチイガシは県指定の天然記念物になっている。この地は、昔、景行天皇が高羽川上の賊を討つときにしばらくとどまった所であり、戦勝を記念して天皇がみずから植えた木が生い茂ったもので、名前も勝木の森と名づけられたという。諏訪神社は元は別所という所に鎮座していたが、現在の勝木の森に移った日がちょうど七月中元の日であったという。その中元神事が中元司となり、中元寺と変わったといわれる。