カッパのはなし(その4)


 津野での犢牛岳の話である。百年以上も前のことになろうか二月のこと、四平という人が友人二人と猟に出かけた帰り道に「あそこにゃ、子供がおる、どうも恐ろしい」といいだしたが、他の者には何も見えない。そうこうしていると、四平は冷汗は出るし、気分は悪くなって、持っている銃も他の人に持ってもらったりしているうちに、全然動けなくなった。そこで一人を監視に残し、他の人は下の民家に助けを求めに行き、フゴ(肥料などを運ぶもの)に乗せてかついで帰った。これは、四平がカッパに会ったためで、当時は、カッパは冬は山におり、夏下りて来て川にいるといわれていた。四平は帰ったあと、英彦山のケイカク坊を呼んで法華経を三日間あげてもらい、元気になった。その後、鋤先を割って、一かけら一かけらにお経の文字を一字ずつ書いて、牛に七駄というから、かます一四俵につめ、犢牛岳に埋めて塚を作った。その塚にあたった風が吹く四方には絶対にカッパは出ないということである。また、かんばつのときは、塚のまわりで護摩をたき、雨ごいをしたという。